令和2年12月26日、コロナで延期になっていたフィジー留学へ行き、フリーバード(South Pacific Free Bird)という語学学校で約6か月間英語の勉強をしてきました。
フリーバードでの留学が始まる前に、今回はコロナ禍の留学ということで、3回のPCR検査の実施と到着後2週間の隔離生活が待っていました。
どんな隔離生活だったの?
そんな疑問にお答えすべく、今回はフィジーでの隔離生活について紹介します。
隔離生活はけっこう楽しめたよ♪
PCR検査の実施
1回目は渡航前の12月24日に東京の指定病院に受けに行きました。
フリーバードのスタッフさんから出発前の成田空港で英語の陰性証明書を受け取り、ニュージーランド空港とフィジー空港を通過する際にこれを見せました。
2回目は隔離先のホテルで12月31日に受けました。朝、現地のドクターが各部屋をまわり、部屋の入り口で立った状態で検査をしました。
3回目は隔離終了2日前の1月8日に受けました。この時は現地のドクターに「いすを持ってきて」と言われたので、入り口にいすを持って行き、座った状態で検査をしました。
インフルエンザの検査のように、鼻の奥に細い綿棒のようなものを入れられて、とても気持ち悪かった。。
隔離生活のホテル「Nalagi Hotel」へ
隔離生活の始まり
フィジーのナンディ空港に到着したらバスに案内され、留学生みんなでバスに乗り、隔離生活のホテル「Nalagi Hotel」に向かいました。
出発の前に現地の政府関係者から、ホテルのプールやジムといった施設は使えないこと、部屋から絶対に出てはいけないことといった話がありました。
そりゃそうですよね。
ホテルに着いて検温をしたら、ルームキーをもらって各部屋に行き、そこから隔離生活が始まりました。
ホテルはとてもきれいで、部屋も広々。
各部屋の前には食事等が置かれる丸テーブルが置かれていました。
私は移動中に仲良くなった2人とたまたま部屋が隣になり、部屋に入る前にライン交換ができたのでよかったですが、それぞれが部屋に入った瞬間から誰とも会えなくなるので孤独です。
ホテル到着後すぐにもらったもの
紙袋に一式入ったものをフリーバードの方が用意してくださり、軍人さんが各部屋に届けてくれました。
お菓子がすごくおいしくて…うれしいプレゼントです。
変換プラグを忘れてしまったら充電ができなくなり悲惨なので、変換プラグを用意してくださるのはありがたいですね。
私は自分で1つ持ってきていましたが、2つあったらとても便利でした。
事前に申し込んだDigicelのSIMカードもすぐに使うことができてよかったです。
SIMカードを交換するだけですぐに使えてとても簡単でした。
SIMカードを入れるところを開けるためのピンやそれに代わるものを忘れずに持って行かなきゃですね。
隔離生活の日程
2週間のスケジュール
平日は毎日30分オンラインレッスンがありますが、あとの時間は自由です。
Zoomでのオリエンテーションも行われます。
私の1日の流れ
すごくどうでもいいですが、私の1日の流れはこんな感じです。
1日自由なので、ダラダラしないように時間を決めて規則正しい生活を心がけました。
自由時間には、ブログの執筆、インスタ投稿、SNSチェック、YouTube鑑賞、英語の勉強、ストレッチ等をやっていました。
なかなかこんなに自由な時間はないので、けっこう充実♡
隔離生活中のオンラインレッスン
オンラインレッスンはZoomを使って行いました。
平日毎日30分間、先生とのマンツーマンレッスンです。
授業の内容は特に決められておらず、先生の質問に答えて会話を広げていったり、教材の画像を画面シェアしてボキャブラリーの問題に答えていったりという感じでした。
通信環境があまりよくなく、音声にタイムラグがあったり、途中で聞こえなくなったりするので、聞き取りが大変なこともありました。
英語が出てこなくて、会話も大変でした。。
隔離生活のホテル「Nalagi Hotel」の部屋の様子
部屋全体、ろう下
2人部屋に1人で宿泊するので、部屋を広々使うことができ、クーラーと天井の扇風機もあって快適に過ごせました。
各部屋のドアの前には丸テーブルが置かれているので、そこに食事が置かれ、食べ終わったらまたそこに戻すというシステムで食事の配膳が行われました。
食事を持ってきてくれた際には、ドアをノックして教えてくれました。
ごみやリネン、バスタオルもろう下に出しておいたら持って行ってもらえます。
ベッド、ソファ、バルコニー
セミダブルのベッドが2つあり、枕は各ベッドに2つずつありました。
寝心地のよいベッドです。
隔離生活中は、バルコニーには出てもよいので、バルコニーに出て外の空気を吸っていました。
洗濯物を干すところがないので、置いてあったいすを重ね、いすの足と手すりにロープを張っていい感じの干し場をつくりましたよ。
クローゼット、冷蔵庫、電子ケトル
クローゼットには、クリップのついたハンガー3本とストレートのハンガー2本、計5本のハンガーと、金庫、貴重品入れ袋がありました。
日本のホテルにあるルームスリッパはなかったので、私は持って行ったビーサンをはいて過ごしました。
冷蔵庫と電子ケトルは便利に使わせてもらいました。
シャワー・トイレ・洗面所
フィジーはお風呂に入る習慣がないので、部屋にはシャワーしかありませんでしたが、水圧は十分だったので問題なく使えました。
フィジーのトイレは水洗トイレで、トイレットペーパーを流せます。
日本と同じようなきれいなトイレでしたが、水(?)が臭くて、常に匂っていたので、置いてあった固形石鹸を、食事についてきたプラスチックナイフを使ってスライスして、便器に入れました(笑)
そしたらにおいがなくなりました‼
アメニティはフィジーで有名なピュアフィジーというブランドのシャンプー、石鹸です。
ココナッツのいい香りで使いやすく、たくさん使わせてもらいました。
ドライヤーも置いてありました。
フリーWi-Fi
各部屋にWi-Fiが通っていましたが、Google検索は拒否されて使えず、YouTubeも途中で止まってしまいました。
SNSチェックやLINEがなんとかできるというレベルのWi-Fiでした。
隔離生活中のホテルサービス
隔離生活では、ホテルのスタッフが部屋に入ることはありません。
なのでリネン交換や掃除は自分でやります。
水やアメニティが欲しい時は、フロントに電話をするか、廊下のテーブルにメモを置くかして持ってきてもらいます。
買い物代行は、思っていたものと違うものを買ってこられることもよくあるようです。
隔離生活中の食事
朝食
朝食はメインがパンかコーンフレークで、フルーツは毎食出ました。
朝からメインの量がとっても多いです。
昼食
昼食は、ごはん、パン、麺といろいろでした。
斬新なメニューやジャンキーな組み合わせが多かったです。
味が濃く、量もモリモリ、野菜少なめということも含めてフィジースタイルな感じでおもしろかったです。
夕食
夕食は毎回ごはんです。
味が濃いことが多いですが、肉料理(特にラム肉)がおいしかったです。
全体的に野菜不足ですね…。
隔離生活に持って行ってよかったもの
調味料
ホテルで出るごはんは、おかずの味付けが濃いことが多いので、沸かしたお湯、ごはん、おかず、調味料を混ぜてお粥のようにして食べていました。
ゆで卵が出ても塩やしょうゆがついてこなかったり、おかずの味が逆に薄かったりすることもあったので、その際にも調味料は役立ちました。
調味料を使ってアレンジすることで、毎回の食事をおいしく食べられましたよ。
ごはんのお供
白米がたくさん出るので、ふりかけや梅干しといったごはんのお供があって楽しめました。
お粥にアレンジした際にも活躍しました。
深めの弁当箱
食事をお粥のようにアレンジすることが多かったので、どんぶりタイプの深めの弁当箱を持って行ってよかったなと思いました。
語学学校が始まった時には昼ごはんを詰めて持って行けるので、弁当箱が1つあるといいですね。
洗剤
食器洗い洗剤と洗濯用洗剤、どちらもあってよかったです。
洗濯はお金を払ってホテルのサービスを利用することもできますが、高いので基本的にはみんな自分で手洗いしていました。
ロープ
洗濯物を干す場所がないので、バルコニーにロープを張って、干し場をつくりました。
箱ティッシュ、ウエットテッシュ
ホテルにテッシュが置いてなかったので、箱テッシュを持って行ってよかったです。
手や机の上を拭くのによく使いました。
また部屋の掃除は自分でするので、ウエットティッシュがあったら何かと便利でした。
隔離生活にかかった費用
◇ホテル宿泊代◇
14泊(3食付き)→ 130,000円
◇PCR検査代◇
日本1回分 → 22,000円
フィジー2回分 → 30,000円
合計 182,000円
合計で182,000円かかりました。
支払っていた留学費用にプラスでかかってしまいましたが、それでもこの時期にフィジーに渡航できてよかったです。
余計な出費があった分、留学で成果を出さなきゃなと思いました。
フィジー留学前隔離生活の感想・まとめ
2週間の隔離生活は、ずっとやりたかったInstagramを始めたり、ブログを書いたりと有意義な時間を過ごせました。
出費は痛かったですが、快適なホテル生活で食事も楽しめて、なかなかない自由な時間を過ごせたのは良い経験です。
今考えれば、この2週間でもっと英語の勉強をしておけばよかったなと思いましたが…。
また、他の留学生とチャットアプリやLINEで連絡を取り合えたので、わからないことを確認できて心強かったです。
それにこの2週間で早く学校に行きたい、他の留学生や先生と話したいという気持ちが高まりました。
そんな感じの楽しい隔離生活でした。